【インタビューを受けた人】
株式会社プラスト 山下 友由 様
【インタビュアー】
ホワイト財団 岩元 翔
代表取締役 山下 友由 様
株式会社プラストは、ホワイト企業アワードの受賞や多数の外部表彰も受け、「ホワイト企業」として高く評価されています。今回は、代表・山下様に大切にされてきた考え方や経営理念について伺います。
株式会社プラストのポイント
・自己の利益だけでなく、社会や社員の幸せを実現することがプラストの理念
・ 周りの人を大切にし、感謝の気持ちをお返しすることが成功の秘訣
・すべての人がこれからの努力によって「なりたい自分」を実現できる。プラストはそれを応援する会社である
── 岩元:まずは創業の経緯からお聞かせください。28歳の頃に今の会社を創業されたと伺っていますが、もともと起業したいという意思は昔からあったのでしょうか?
山下社長:いえ、そこまで強く起業したいとか経営者になりたいという思いはありませんでした。
高校時代に近所の洋服屋のアルバイトをしていた際に、「自分でいつか店を持てたらな」といった軽い願望があったぐらいで、当時の自分では今の自分の姿を想像できなかったと思います。
実際、親にも「何やっても続かないし、このまま大人になると困るのは自分だよ。」とよく怒られていた、できの悪い子供だったと自分でも思います。
── 岩元:今の山下社長からは全然想像できませんね!少し意外でした。ではその当時から振り返っていただきますが、最初はどんな仕事を選ばれたのですか?
山下社長:高校を卒業して、航空自衛隊に入隊したのが私の社会人としてのスタートです。
自衛隊に入隊した理由も、国を守りたいという強い意志があったわけではなく、高3の夏休みに航空自衛隊で勤務する叔父に基地を案内してもらって「資格も働きながら取れるっていうし衣食住も無料だし、ちょっと怖いけどいいかな」という感じで決めました。
その時も親から「お前が自衛隊?すぐに辞めたりするんじゃないぞ。」と釘を刺されました。
私自身も一生この仕事をするつもりはなかったので、ちょうど大卒の方々が卒業する4年間位は勤められたらいいなと入隊したのを覚えています。
── 岩元:実際に入隊してみてどうでしたか?
山下社長:正直、驚きの連続でした。よくある高校生のようにふらふらと特に何も考えずに過ごしてきた日常から、規律を重んじる生活に変わるのは、言葉で表現できないぐらいの衝撃でした。
6人部屋で細長いロッカーだけが与えられ、共同生活が始まりました。
髪型は強制的にほぼ角刈りにされ、何かミスがあれば連帯責任で全員が怒られるなど、驚きの連続でした(笑)
── 岩元:すごい生活ですね。その頃の経験をどう考えていますか?
山下社長:正直、厳しかったというのが大半の思い出ですが、最も大きかったのは一緒に過ごした同期の存在と寮での団体生活です。
もちろん、最初は知り合いもいなければ、出身地や方言もバラバラでした。
そんな中で、上官への不満を言いあったり、みんなで辞めてやろうぜ!と愚痴や不満を口にしながら共同生活を数カ月続けていくうちに、いつのまにか仲が良くなり、みんなで辛い訓練も乗り越えようという気持ちが芽生え、結局教育訓練期間は誰一人退職しませんでした。
この自衛隊時代で経験した寮での団体生活、規律を重んじる組織に身を置いたことが、結果として、人間関係の構築や連帯責任、そしてチームワークの大切さを学べたという気がします。
── 岩元:過酷な環境が自分を見つめ直す良い機会になったということですね。では、4年後に自衛隊を辞めてから、その後はどのようなキャリアを積まれたのでしょうか?
山下社長:自衛隊時代にたまたま読んだ本に『営業力があるかないかで会社の生存率が大きく変わる。』といった内容の文章が書いてあり、高校時代にお店をやりたかったことを思い出しました。
今、将来何をするかはわからないにしても【営業力を身につけよう】と直感で思い、営業職に的を絞って求人活動を行いました。
入社した会社は、今でいうホワイトとはかけ離れた企業で(笑)、沢山チャンスもあり学べる環境だったのですが、初月から帰宅時刻は0時を何度も回るなど、今の若い方からすると考えられないような環境でした。
── 岩元:自衛隊に続き、過酷な環境だったんですね。どのようにして乗り越えたのでしょうか?
山下社長:よくその質問をされるのですが、実はまったく大変ではなかったんです。
もちろん、労働時間が長いなどの問題はありましたが、精神的には楽しくて仕方ありませんでした。営業の経験どころか、一般企業の経営経験もなかった自分には、新鮮で驚きの日々の連続でした。
商談が成立すれば、自分自身も嬉しいですし、何より一緒に働く上司や同僚も喜んでくれる。何も取り得も無く人から褒められたことのない私にとっては【褒められる。】【認められる】ということがとても嬉しく、それが原動力にもなりました。
確かに、振り返るとキツかったことや葛藤もたくさんあったかもしれませんが、そんな中でも仕事で成果を出すということの達成感や周りの仲間と一緒に仕事ができる喜びがそれを上回っていました。その繰り返しを続けていった結果、気が付けば東京営業所の所長を任せていただくことができました。
── 岩元:山下社長の想いと実力がかみ合い、成果に繋がった経験ですね。次はいよいよ、起業の話をお伺いしたいと思います。
山下社長:結論から言うと、創業期は成功への不安からくる焦りと、ある程度実績を残せたことでの過信が重なり、自分でもあまりよくない時期だったと思います。
もちろん、すべてがダメだったわけではなく、外から見ればうまくいっていると評価されることも多かったのですが、今振り返ると反省点ばかりです。
── 岩元:「今思えば」ということでの反省ですね。ぜひそのあたりの詳細をお聞かせください。
山下社長:28歳で起業を決意し、前職の経験を活かしてOA機器の事業をマンションの一室から始めたのがスタートです。
聞いたことがあるような一般的な起業のストーリーですが、自宅の6畳の一室を仕事部屋に改造し、その辺の電気屋さんで電話やパソコンを買ってきて、一人でスタートしました。 少しずつ売り上げも増え、社員も増えて、順調に会社は成長していきました。
私自身も、せっかく会社を興したからには成功したい!いい車に乗りたい!といった、よくあるモチベーションでがむしゃらに働いていたことをよく覚えています。
── 岩元:今の会社の方針とは全然違うように感じますが、何がきっかけで今のように社会と社員の幸せを追求する会社に変わっていったのでしょうか?
山下社長:私を育てていただいた前職は、いいところもたくさんあり、若くてベンチャー精神旺盛な優秀な社員にチャンスをくれる環境でしたが、残念ながら入ってくる人より辞めていく人が多い。とても大事なことではあるのですが、売上や利益という結果が全てという風潮があり、人を長期的に大切に育てていくということの優先順位がそこまで高くない、そんな風潮に少なからず違和感を感じていました。
その経験があったことで、いいところは真似させていただき、よくないところを改善して、社員が活躍し長く働き続けられる会社にしたいと考えていました。ですが、現実問題プラストも成長はしているが、結局離れていく人も少なくない。業績だけではないですが、会社を存続するためにはどうしても業績を最優先に考えなければならない。と、うまくはいっているが、最高の状態ではない。そんな状態が続いていたのが実情です。
とある社内の飲み会で、
「本当に社長についていって、私の人生は大丈夫ですか?!」と酔った社員から聞かれたことがあります。
もちろん「大丈夫だよ」と答えたのですが、なぜそんな質問が出てきたのかも同時に考えました。「もしかすると、プラストが進む先は自分の望む会社ではないのかもしれない。」そんな言葉にならない不安を感じることもありました。
そして、私たちの転換のきっかけとなる東日本大震災が起こってしまいました。
山下社長:埼玉の本社も被災はしましたが、震源地に比べてまだ被害は少なく、なんとか事務所を片付ければ仕事ができる状態ではありました。しかし当社の社員のご家族が避難生活を余儀なくされ、原発や避難、津波で多くの方が被害に遭われたニュースを毎日見て気持ちが落ち込み、大きな無力感と同時に日本はこれからどうなってしまうのだろうと未来への不安も感じていました。
当時『ビジネスを通じて地域社会に貢献する』という理念をホームページには掲げていましたが、正直なところ、理念を従業員に真剣に伝えることをしたり、社会貢献のための具体的な行動を起こしていませんでした。
まずは小さなことから行動を起こそうと、従業員の家族にお見舞金やお手紙を送ったり、日本赤十字社を通じて震災義援金を寄付したり、特に震災の被害が大きかった宮城県女川町にあるコラボ・スクール女川向学館に数年間ご支援もさせていただきました。
そんなご支援を数年間継続させていただく中で、自分達が多くの方達に支えられて今があること、そして日々の仕事をもみんなで力を合わせて本気で取り組むことでこういったご支援がもっとできるようになり、『人と企業を未来に繋ぐ』お手伝いができることに気が付きました。
本日お話させていただいているように、何の取り得もなく、誰からも期待されていなかった自分が、周りの人たちに恵まれ、支えられてここまで頑張ることができました。
そんな幸運な出会いを実現できるような会社に、本当にプラストはなっているのだろうか。プラストに出会って成長し、幸せを感じられる人がどんどん生まれる会社を目指すことが、私たちにできる社会貢献のひとつだと気づきました。
そこで、私の中で明確に理念を実現させていきたいという「スイッチ」が入りました。
── 岩元:震災をきっかけに自分たちの在り方を見直したのですね。その後すぐに会社は変化していったのでしょうか?
山下社長:東日本大震災を経験し自分たちの存在意義を見直すことができ「理念を実現させたい」と思うことができました。
ただ、この経験は自分にとっての「第一次の変化」だと思っています。「第二次の変化」はそこから数年後の話になります。
正直、東日本大震災から数年が経過した後、売上は上がっていたので、組織として表面上は特に問題を感じておりませんでした。
しかし、今思えばこの時点でも問題は山積みだったのだと思います。
例えば「残業で疲れがなかなか取れない」ということだったり「有給が取れない」という従業員の方もいたり。中には「給料と仕事内容が見合ってない」という不満を抱いてる従業員もいました。
何よりも「このままではだめだ」と気感じる決定打となったきっかけは「離職率が上がった」ことでした。辞めていく人が多く、この時、従業員の方々は言葉にはしていませんでしたが「プラストで長く働くイメージができない」と感じていたのだと思います。
このタイミングで「会社を本気で変えたい」という気持ちが芽生えました。
── 岩元:会社を離れていく人が多くなったことで「会社を本気で変えたい」という気持ちが芽生えたのですね。その後は、具体的にはどんな施策を行ったのでしょうか?
山下社長:まず始めたのは「社員の声を真摯に聴く」ということです。その第一歩として、全社員を対象にエンゲージメントサーベイを実施しました。
※エンゲージメントサーベイとは、従業員の企業に対する満足度や、企業活動への参与・参画の度合いを可視化するための調査です。
── 岩元:社員が実際にどう感じているかを知ろうとしたのですね。結果はどうでしたか?
山下社長:時の会社経営に自信があったわけではなかったので、ある程度覚悟はしていました。ですが、結果は想像以上に厳しいものでした。
50点を世の中の平均点とする指標の中で、初回のスコアは40点。
「こんなに必死に会社を守ってきたのに、世の中の会社よりかなりダメな会社なんだ」と突き付けられた気分でした。正直、大きなショックを受けました。
それでも、これが社員たちの本音なのだと向き合うことにしました。そして、安心して長く働ける環境を作るために、家族手当を導入したり、有給休暇を取りやすくしたりと、あらゆる改善策を進めていきました。
そして数か月後、再びエンゲージメントサーベイを実施しましたが、結果は「45点」。自分が期待していた数値には届いていませんでした。
── 岩元:これだけ努力して取り組んだのに、大きな変化がなかったのですね。その結果をどのように受け止めたのでしょうか?
山下社長:「どうすればいいのか」を本気で考えました。定期的にサーベイを繰り返し、その結果を振り返り、「何がダメだったのか」を徹底的に追求した結果、一つの結論にたどり着きました。
それは「自分というたった1人の人間だけで、会社を良くできるわけがないんだ」ということです。
── 岩元:創業者として、自らの決断で会社を導いてきた成功体験を捨て、全員の意見を取り入れる組織作りを選んだということでしょうか?
山下社長:その通りです。会社を興した当初は、多くの経営方針を相談せずに決めて進めていました。
そして、それによって業績を向上させることができたことは、最低限の実績ではありますし、すべてが間違っていたとまでは思っていません。そしてこの先も、努力し、勉強し、みんなを守るためにもっと自分ができることを増やすことが、会社を成功へ導く最善の道だと信じていました。
しかし、エンゲージメントサーベイの結果が上がらない現実を突きつけられたとき、「自分がワンマンで方針を決めて拡大していく会社は、本当に社員みんなが望んでいることなのか」という疑問が芽生えました。
会社が成長し、優秀な人材も増えた今、冷静に考えると、自分の能力が社員全員より高いわけではありません。では、組織の作り方はどうだろうか?
自分一人で考え、決断するのではなく、みんなにプラストの会社づくりに参加してもらうことで、より良い結果が生まれるのではないか。そう考えるようになりました。
── 岩元:「自分一人で決める」から「相互理解を大切にする」へと舵を切ったのですね。それが、現在の株式会社プラストの理念や方針に繋がっているのですね。
── 岩元:創業者として、自らの決断で会社を導いてきた成功体験を捨て、全員の意見を取り入れる組織作りを選んだということでしょうか?
山下社長:自分で決めることをやめ、全員参加して会社をつくることを選んだ結果、みんなの意識が他人事から自分事へ変わり、驚くほどの変化が生まれました。
エンゲージメントサーベイのスコアも劇的に改善し、6年経過した現在では65点を超え、40点だった当時と比べても高い数値を達成することができました。
スコアはチーム毎に平均を出しているのですが、どのチームも当事者意識をもって取り組んでいるからこそ、これだけ当初から数字を上げることができたのだと思います。
それだけではなく、このような改善を何年間も継続したプロセスが評価され、ホワイト企業認定やホワイト企業アワードの受賞、さらには他の外部認定など、多くの第三者評価機関から高い評価をいただく事も実現しました。
もちろん、今も道半ばではありますので「良い会社になりきった」とは思っておらず、まだまだではありますが、それでも「全員が当事者意識を持つこと」で着実に良い方向に向かっているのではないかと思います。
この成果を通じて、改めて強く感じたことがあります。
それは、自分一人でできることは、実は「ほんの少し」だということ。そして、周りの力を信頼し、協力を得ることでこそ、大きな成果を生むことができるということです。これは、私自身にとって大きな学びであり、プラストという会社の成長を支える重要な理念となっています。
── 岩元:ダメだった組織から「いい組織」を実現したプラストですが、今後の目標について教えていただけますか?
山下社長:社員の多様性や可能性をさらに活かし、組織の透明性を一層高めていきたいと考えています。
具体的な施策は現在検討している最中ではありますが、社員一人ひとりの可能性を広げるだけでなく、組織全体の柔軟性を高めることができる制度を導入できればと考えています。
そしてなによりもプラストが掲げる「社会と社員の幸せの基盤であり続ける」という理念に繋がるようなことは、どんどん取り入れていけたらと考えておりますし、理念を実現するために、これからも挑戦を続けていきたいです。
── 岩元:仕事を頑張る社会人へ向けて、ぜひメッセージをお願いします。
山下社長:一番伝えたいのは、「やりたいこと」より「なりたい自分」にこだわることです。
目先の「やりたいこと」を優先するのではなく、将来の「なりたい自分」を目指すことにこだわることです。そして、どうしてそれが「なりたい自分」なのかの理由をしっかりと自分で掘り下げ明確にする努力を決して怠らないでほしい。
「なりたい自分になる」という思いは、人生における大きな原動力です。
それが見つかるかどうかで、人生の充実度や後悔の有無が大きく変わると信じています。もしかすると、今やりたくないと思って避けていることが、「なりたい自分」を遠ざけていることにつながっているかもしれません。
── 岩元:プラストで働く社員の皆さんも、「なりたい自分」がある方が多いのでしょうか?
山下社長:もちろん、「なりたい自分」を明確に持っている社員もいますが、一番多いのは「入社する前は将来の目標や「なりたい自分」がわからなかったけれど、この会社で見つけた」という社員です。これは本当にうれしいことだと思っています。
もし今、「なりたい自分」が見つかっていなくても、それを探す過程で自分を高めることができます。プラストに入社して、仲間とともに挑戦する中で「なりたい自分」を見つけていけばいい。成長したいという強い気持ちさえあれば、現時点で「なりたい自分」がなくても大歓迎です!
── 岩元:お話をお伺いし、非常に感銘を受けました。本日はありがとうございました。
取材者のレビュー
経営課題に立ち向かった際に、「自分だけで乗り越える」だけでなく、周囲を信頼し、任せることで共に乗り越えていくという山下社長の価値観。それをそのまま会社全体に反映させ、確かな実績を挙げていることに深く感銘を受けました。今いる従業員の方々も、これから入社する方々も、助け合いながら会社を成長させていける素晴らしい事例だと思います。
私自身も、今後の組織設計やマネジメントの参考にさせていただきます。ありがとうございました。
「なりたい自分になれる」従業員の声を”カタチ”にする株式会社プラスト
日本次世代企業普及機構 代表理事岩元 翔
東証1部乗上場企業の求人広告会社にて新卒・中途採用のコンサルティング業務を学び、その後ITベンチャー企業にて自社採用業務、教育業務に従事。 2020年には一般財団法人日本次世代企業普及機構の代表理事に就任。これまでの経験、実績を活かし、経営者や従業員にとって道しるべとなる「ホワイト企業指標」を作り上げた。